地元の歴史と暮らしを知る:八ヶ岳のロマン(2)

日時 :7月10日(木)
話し手:水原 康道氏 (高福寺住職、小淵沢在住)

1.北巨摩は諏訪と密接な関係にあった 続日本紀、甲斐国志に見る伝承

①諏訪の国が出来たときは『本州(甲斐)武川(現在の白州町・武川村)並(ならびに)逸見ノ坂上之地(現在の須玉町若神子)ハ本諏訪ノ地ナリ』とあ り、諏訪の地を作ったとされる武御名方命(たけみなかたのみこと)は、諏 訪明神の祭神である。
養老五年(奈良時代西暦721年)信濃の国から諏訪の 国が割かれ、10年後の天平三年(奈良時代西暦731年)に、諏訪の国が信 濃の国に併合された。この時堅場沢(現在の長野県富士見町立場川)以南 十八村が甲斐の域になった。このため武川、逸見の地には諏訪明神を祭る神社が多い。
②原山明神(現在の韮崎市清哲町)の社記伝には、諏訪の御射山と同じ「日・ 月・星」の三光を祭っている。昔は武川の総鎮守となっていた。 ③諏方明神(すわみょうじん)*1と甲斐健御名方命が出雲の国より来て、武甕 槌命(たけみかづちのみこと)と和議が整った地である。川を隔てて東南の 地、諏訪領土の蔦村*2武甕槌命の旧蹟がある。諏訪明神の上社下社に対し て中社という。中社とはこの方*3を内として称した。 ④大武*4の地名のいわれ 国譲り神話の伝承 武御名方命の流罪の地・・大武の「大」は「奥」の転訛。 「奥武」は「オー」と読み「青」の意。青は古代の葬所と推定される。

<注釈>
  *1:時期と場合によって諏訪を諏方と書くことがあった。
  *2:現在の長野県諏訪郡富士見町蔦木、国界橋の西側に位置する。
  *3:武川村の諏訪神社のことを指す。
  *4:現在の北巨摩郡武川村、白州町あたり。古代は諏訪の領とされていた。

2.北野天神社(小淵沢町上久保)の鰐口の刻文から寄進者を探る

『奉施入甲州大八幡庄山宮天神*5鰐口事/応永十九年壬辰九月廿五日敬白/奉 施入諏方立合大行神』
①武田信満奉納説
甲斐国志や小淵沢町誌ではこの鰐口が寄進された応永十九年ごろは、信 満全盛期で、甲斐国内の安全、殊に峡北の武田領の安泰を祈念したものと 記している。また領内の逸見氏との平安を願った。この山宮天神社は諏訪 明神が合祀(ごうし)されていたと見ている。しかし、山宮天神社の祭神 は日本武尊と菅原道真であって、八幡信仰ではない。大八幡庄は、八田で 墾田(はりた)の意であるとの異論がある。
②大祝(おおほおり)11代諏訪頼有奉納説
刻文の立合(りつごう)は即位、大行神は現人神(あらひとがみ)の意。 諏訪には郡主を大行神(大祝)とする意識がある。諏訪史料に『諏訪社上社 大祝諏訪頼有、諏訪を去りて甲斐に赴き、同国に卒す』とあり、この地方 に勢力を有していたと見られる。
<注釈>
  *5:「里宮」に対しての「山宮」、自然の山・森などを祭神とした古来の信仰対象。 後に里宮に還されて、菅原道真を配祀して北野天神社と称した。

3.この地に根を張った小井詰氏

①甲斐国志には、北野天神の神主小井詰氏は小笠原氏(清和源氏の流れを汲 む)が先祖とあり、13世左京進吉基の時に入り婿して神主となるとの記 載がある。小笠原氏は伊那地方に勢力を持ち、諏訪氏とは友好関係にあっ た。小井詰氏の家紋も小笠原氏と同じ三階菱である。
②甲斐国志には、頼信が食邑(しょくゆう)*6を失い諸村を漂流、安元2年 (平安時代西暦1176年)に泉原に移り、姓を小井詰氏となった
。 ③泉親衡は、鎌倉時代の武士で信濃源氏の流れを汲む。源頼家の遺児・千寿 丸を擁し北条氏に叛を起こしたが敗れ、和田兵衛(富士見町落合)と進藤 筑後(小淵沢町久保)を従え、小井詰氏を訪れ、養子となり跡目を継いだと いう伝承もある。
<注釈>
  *6:領地のこと。

4.大宮神社と天神森(小淵沢町の祭祀軸*7)
大宮神社(宮久保)と天神森(尾根の東側)を結ぶ南北の祭祀軸(さいしじく) が存在した。大宮神社には、小井詰氏の旧蹟があり、天神森は北野天神の 山宮の旧蹟である。井詰湧水(インター脇のすずらん池の西側)から正中1 年(鎌倉 時代、西暦1324年)に開削されたいわゆる「五百石堰」*8によ り、小淵沢地 区の統一が図られた。この水路の完成により五百石の増産 が出来たことからこの名で呼ばれている。
<注釈>
  *7:昔、天神森(小淵沢町尾根~小淵沢駅の北側の集落)と大宮神社(宮久保~小淵沢駅の南側スパーエビスヤの前)を結ぶ直路があり、これを天神道といった。これを祭祀とみる
  *8:すずらん池西側の井詰湧水から東側に引かれた水路、現在も中央高速道路に沿ってあり利用されているそうです。

<まとめ>   1.この地方は、源氏の流れを汲む血統により支配されてきた。
  2.古代の伝承からも伺われるように、逃亡者の隠棲地であった。(庇護聖地=アジール)
  3.諏訪地方と密接な関係があった。

第1回に続き、今回も歴史教科書的ではなく、伝承や甲斐国志などの史料を引用してのお話は、サブタイトルの「歴史ロマン」にふさわしく、興味深いものでした。諏訪信仰とのつながりの深さも良く分かりました。
また、小淵沢(北巨摩)が庇護聖地であったという説には、この地が移住者に寛容である風土と関係があるのかなあと思いました。
五百石堰など湧水を生活に生かした遺跡を見て歩きたいと思っています。