景観ウォーク

景観ウオーク

2004年から2015年はこちらを見てください。

わくわくドキドキ景観探検~旧清里・樫山の里(1)

日時 :2004年1月8日(木) 9:30~12:00

初雪で、寒々とした朝も、歩き始めると、青空の晴天。
新春第1号の景観探検は、コースよし、天気よしの最高のWalkでした。


場所は、昔の清里の中心地「清里」。現在の北甲斐亭がある ところで、駅周辺の清里からは想像もつかない静けさです。
「わあ、のどか~!」の叫び声。
ここ「清里」は、山里ということばがピッタシ。 民話が一杯生まれそうな里です。宮沢賢治の「風の又三郎」の舞台になったという説もあります。
まずは、由緒ある赤松の風切り(防風林)から出発。以前は粗大ゴミの山だったとか。


この地区に伝わる「三社まいり」(下参照)をしながら、 田園の向こうに見える八ヶ岳の風景に感嘆し、写真をパチパチ! 赤岳、阿弥陀岳、権現の頂が昨晩の雪で一層美しく見えました。
最後に、松の風切り(防風林)を通っているときに、風の三郎(八ヶ岳おろしのこと)が阿弥陀岳から下りてきました。 宮沢賢治も、きっとこの風を体験した!と勝手に想像


歩く人を考慮して舗装にしなかった農道に感謝しつつも、 コンクリートの法面、そしてガードレールの存在が、田園風景を乱すのが、ただただ残念でした。


「あ~、あのガードレールがなけりゃ、いいのにねぇ。」
「あ~、あのコンクリートの法面が目立つなぁ。」
「あ~、あの電信柱がなけりゃ、甲斐駒がきれいなのになぁ。」


しかし、この地区の景観は想像以上の素晴らしさでした。
この橋、架け替えられても木製になりました。
地域の人の努力に感謝です。

この地区は、「柏前の牧」(カイワザキノマキ)として古くから知られた 馬の名産地で、その歴史に育まれた心意気を感じる里でした。
(注1)
この地区には、「三社まいり」といって雨乞いを八ヶ岳権現の社に、
晴天を日吉神社に、暴風雨よけを風の三郎社にそれぞれ部落の代表が
毎日当番として代参していたと言います。

景観ウォーク:大泉村谷戸の家並み

日時: 2003年10月5日(日)

【コース】
大泉村谷戸の古い家並み~八雲神社~八ヶ岳の林間を散策~
富士山から甲斐駒ケ岳まで一望できる田園地帯~下井出地区~集合場所へ戻る


気持ちよく晴れわたった秋の空、まさしくウォーキング日和。
まずは準備体操。その後今日一日の行程の説明を受け、元気よく出発しました。


黄金色の稲穂と真っ白な蕎麦畑を左右に眺めながら
谷戸の集落の辻辻をゆったり散策。


軒先にバケツが4つ・5つぶら下っていたり、
道端に澄んだ小川や清水が見られたり、所々に石の祠がひっそりと佇んでいたり、
・・・遠い昔出会ったような懐かしい風景がそこかしこに見られました。
大事にしたい風景です。


「嗚呼地水還身」と刻まれた大きな石碑の前では、
「このあたりは、100年余り前、鉄砲水が出て多くの家々が流失・損壊し、
57名もの人々が亡くなられたこと」
「この石碑は、その方々の供養のために建てられたこと」


「その後、時を同じくして建てられた家々が、そこここに残っている、
白壁に歳月が染み込んだ木の紋様が美しい民家であること」
など杉田氏より説明をうけ、その歴史に想いを馳せるみんなでした。


八雲神社の”謎”をきき、苔むした石段を上り一休み、
それに続くふかふかの山道を下り、車道を少しばかり歩くと
360°の眺望、八ヶ岳、秩父連峰、富士山、南アルプスの峰峰が姿を現し、まさに絶景。
八ヶ岳南麓の素晴らしさを満喫です。


いよいよ、お楽しみのお弁当タイム。
飛沢の池のほとりであたたかな木漏れ日の中、
にぎやかにお弁当談義しながら休憩です。
そして田園ウォークに出発。


八ヶ岳南麓ならではの南に緩やかに下る棚田。その向こうに富士山、南アルプスの山並み。後ろを振り返ると八ヶ岳。収穫期を迎えた田んぼは、まるで、黄金色の稲穂と白いそばの花が織りなす絨毯のようです。それに大きな青い空。八ヶ岳南麓の豪快な景観に感激しっぱなしです。 心地よい風を頬に感じながら、大きな空に広がる雲を見上げて、「なんという雲かなぁ?」「秋の高層雲ですよ」と足取りも軽い。


そして田園のクライマックス「わぁ~、電線がない!」「青いビニールシートもない」「カラフルな建造物もない!」みんな興奮気味です。見上げる棚田には天日干しの稲架が並び、その向こうにくっきりと八ヶ岳の雄姿がありました。
晴天と美しい田園に山並み、さわやかな風、それに古民家の歴史の香りありで、心は浮き浮き、大満足の景観ウォークでした。

★参加者の感想★
 ・さまざまな景観(家並み、林、田園)がある大泉のベストコース
 ・晴天、風、稲穂、そばの花が美しく、最高の行程。
 ・いろいろ説明、案内していただいた会の方に御礼申し上げます。
 ・歴史的テーマと自然の中のウォークがミックスされていて時間の経つのを忘れた。
 ・今回も美しい自然の中に、心無い人の落し物が!少しがっかり。

わくわくドキドキ景観探検~大泉からの棒道(2)

日時: 2003年5月30日

今回のスタート地点であるレインボーライン沿いのイラスト館に午前9時に集合。
今回は何を発見するかと期待に胸震わせて出発。

最初は林の中、昔の棒道を思い出させるような感じの細い道を歩く。ミズキの花が左右に見られる。天気が心配な予報であったが爽やかな風が吹く五月晴れであったから気持ちがよい。 今回は、行程4地点で景観について感想を記録することにしたことから、より観察者の気分が強くなる。家屋の構造・色調、生垣や庭園の感じ、周辺の林、畑地、遠くは南アルプスや八ヶ岳の景観を観察する。


鮮やかな新緑と爽やかな風をバックにして明るい林、南アルプスや八ヶ岳の景観はほぼ満点。
でも途中から棒道は舗装道路となって観音さまも居心地が悪そうだ。道路拡張により動かされている観音さまが多くなる。
今年、行政が整備した三分一湧水に到着して気分はさらに悪くなる。なぜか白樺の植樹。遊歩道に沿って流れる湧水路は、なんとコンクリートで固められている。何とかならないの、と思わずにいられない。「これが行政がお金を使ってやることなのよ」との声が聞こえる。


小荒間の番所跡から雰囲気はまた変わる。標高が高くなっているにもかかわらず家が多くなる。24番千手観音立像は28と29番の間にある富蔵山公園に移されていた。その公園には、多くの石仏が並べて置かれていた。道路の拡張工事で置く場所がなくなった石仏が集められたらしい。自然破壊の悲しい現実が形になっている。


今回の最終地点にある33番十一面観音立像の近くにある、ふるとま川に懸かる棒道橋の周辺は異様な雰囲気を作っていた。普段、流れる水もないふるとま川なのに、石とコンクリートで塗り固められ美観は一顧だにせず防備(効果)だけを追求している形となっている。

武田軍団が作った軍用道路が、その後になって、甲斐と諏訪間の便利な道として利用されるようになる。そして、江戸時代に入って、道路わきに多くの石仏が置かれた。安全を願っての石仏というが多くのことを願っての石仏作りだったと思う。道行く人たちは石仏の前で何を願って手をあわせたのだろうか?と思うと感慨深い。 人はいつの時代でも幸せを願いながら、なんと多くの試行錯誤を繰り返して、この社会(景観)を作ってきたのかと考えてしまう。

わくわくドキドキ景観探検~大泉からの棒道(1)

日時: 2003年4月13日(日)

前日の雨も上がり、この春一番のポカポカ陽気の中、
棒道沿いの観音さまを求めて歩きました。

今回は下見なしの「わくわくドキドキの景観探検」でしたが、 迷うことなく、
大泉からの棒道(泉温泉からイラスト館まで)の西国三十三観音のうち
No.1からNo.9までの観音さま巡りをしました。

木々が一斉に芽吹き、可憐な花々が色とりどりに咲き始めた道沿いに、
ひっそりと建つ観音さまは、 如意輪観音や馬頭観音など数種類の観音さまの姿がみられました。

車で通るだけでは決して味わうことはできないし、こうした探検でもなければ
見落としてしまいそうな観音さまとめぐりあえて楽しいひとときを過ごしました。

棒道沿いのゴミや個性豊かな?景観を考えずに建つ家をみながら
「景観はだいじ~」と、異口同音。

つくしや蕗のとう、山菜の王様「たらの木」をみつけて、わくわくは倍増!し、
あっというまに3時間の行程は終了しました。

昼食は、「そば処いずみ」でと、期待していたのに残念、お店は「臨時休業」でした。

いざ「棒道めぐり」へ!

●棒道って何だろう?

棒道(ぼうみち)とは、武田信玄が北信濃を攻めるために
八ヶ岳の西の麓に軍用道路としてつくったと伝えられている道のことで、
棒のようにまっすぐに伸びていることから、このように呼ばれています。

棒道沿いには、小荒間村(今の長坂町小荒間)と谷戸村(今の大泉村谷戸)の
有志が、旅人の安全を願って、棒道を整備し道案内をするのを目的に、
1町ごとに安置した観音さまがあります。

大泉の谷戸から長坂町の小荒間を経て女取湧水の分かれ道までが
「西国三十三所」を、そこから小淵沢町との境界線あたりまでを
「坂東三十三所」を模したとされ、現在は各々26体と11体しか
確認されていません。
(※長坂町郷土資料館発行 ながさか、もっと知りたい!!BOOKLET[棒道の本]参照)